2016年5月1日日曜日

中国史/古代/春秋戦国

 戦国時代の社会経済的変化① 

 戦国時代と言えば,社会経済の変化です。山川出版社の『詳説世界史B』にも,

「中国では春秋時代中期以降,鉄製農具の使用や牛に犂を引かせる耕作方法(牛耕)が始まって農業生産力がしだいに高まり,小家族でも自立した農業経営が可能となったため,氏族の統制はゆるんでいった。また戦国時代の富国策によって商工業が発展し,青銅の貨幣ももちいられるようになり,大きな富をもつ商人もあらわれた。このような社会経済の変化にともなって,周代の世襲的な身分制度はくずれ,個人の能力を重んずる実力本位の傾向がこの時代の特色となった。各国の内部では身分にとらわれない有能な人材の登用がおこなわれ,君主に権力が集中してくるのも,このような時代風潮と関連している。」
(山川出版社『詳説世界史B』)  

と取り上げられています。

 まずはポイント。

  1. 鉄製農具牛耕農法が中国社会に大きな変化を与えた
  2. 西周以来の社会秩序を支えていた宗族が崩壊した
  3. 実力本位の時代が到来し,やがて中央集権体制を生んだ
 

うーーーーーーー

 
 ちょっと大変だからがんばってくださいね。
 
 戦国時代に入り,「周代の世襲的な身分制度」,つまり西周以来の封建制が崩壊しました。そのあと,皇帝が万民を支配する中央集権体制が生まれます。

 それはなぜでしょうか。

 答えは「社会経済の変化が数百年続いた社会秩序を吹き飛ばしたから」です。

 封建制を支えていたのは宗族です。同じ氏姓の一族という意味でしたね。同じ祖先を共有しており,その祖先の祭祀を通じて結束する父系の血縁集団です(母方の家系は宗族には入りません。例えば,周王の娘〔姫姓〕が他姓の人間と結婚して息子を生んでも,その息子は周王と同じ宗族とは見なされません。その父親の宗族の一員と見なされます。また同じ宗族の人間と結婚して,父方の親戚も母方の親戚もみな同じ宗族だという事態も絶対に生じません〔同姓不婚の原則〕)。

 周王は同じ宗族の人間(叔父や従兄弟)に「邑」=封土(ほうど)を与えて諸侯とし,その土地の統治を任せました。王にとって最も信頼できるのが同じ一族の人間だからです。周王は諸侯にとって本家の当主(一族のリーダー)ですから,分家筋の諸侯はこの王に従うしかありません。宗族には宗法と呼ばれる鉄の掟があり,これが一族を結束させていました。

 王は一族を封建して諸侯を立て,諸侯も一族を封建して卿や大夫を立てました。諸侯が王に服従するのは,王が同じ一族で本家の当主だからです。卿や大夫が諸侯に従うのも,諸侯が同じ一族で本家の当主だからです。ですから,人々が宗族や宗法を意識しなくなると,諸侯は王に服従しなくなり,卿や大夫も諸侯に服従しなくなります。同族を殺してその財産を奪うなんてことも起きるようになります。

 みなさんも,自分に親戚がいて,彼らも一応「同じ姓を名乗る一族」だという意識はあっても,誰が一族の当主かはわからないし,「一族のために尽くす」なんて気持ちは持てないですよね。ところが,西周時代には,人々は自然と「本家の当主を敬い,その指導に従うべきだ」と思ってましたし,「一族の掟=宗法を守るのが当然だ」「一族のために尽くすのが自分の務めだ」と普通に思っていました。

 それは,一族みなで助け合わなければ,生き残ることができなかったからです。十人がかりで十二人分の食糧をどうにかこうにか作り出すような時代には,仮にどこかで作付けに失敗したり,洪水や日照りにあったり,戦争に巻きこまれたり,働き手が病気が倒れてしまったりと,ちょっとしたトラブルが起これば,いきなり餓死に直結しました。ところが,大きな集団で助け合えば,どこかが不作でもどこかは豊作かもしれませんし,あるいは,不作で困っている家に自分の家の食糧を分けてあげるとしても,負担は少しで済みます。

 生き残るには,宗族の助けが必須なわけです。



 ところが,戦国時代には,鉄製農具牛耕農法が普及して,生産力が大きく向上しました。これまで十人がかりで農作業をしていたのが,三人で済むようになったところを想像してください(極端ですけど)。一族総出で農作業をする必要もなくなり,五人程度の小家族でも十分に農業を営んでいけるようになりました。これを「小家族でも自立した農業経営が可能になった」と表現します。宗族みんなの力を借りなくても,もう大丈夫なわけです。人々の意識は「宗族」単位から「戸」単位になっていきました(親戚とか本家はどうでもよくて,自分の家族だけが大事)。みなさんの親戚に対する感覚に近くなったと思ってください。




 宗族なんてどうでもいい! 本家は分家に対してグダグダ言ってんじゃねえよ! となります。富国強兵を進める各国が,1つにかたまって住んでいた宗族に分家を強制し,辺境に送り出して開墾を進めたことも,宗族の崩壊に拍車をかけました。宗族がバラバラになって各地に分散してしまったのです。

 国としても,宗族単位では統治できなくなります。例えば,国が宗族のリーダーに租税を納めるように要請しても,他の宗族のメンバーがリーダーの言うことに従わないので,なかなか租税を集められません。結局,「戸」ごとに名簿を作って(これを「戸籍」と呼びます),それぞれから租税を集めるしかないわけです。

 こうして,宗族・宗法を基礎としていた西周以来の封建的な身分秩序は成り立たなくなりました。王や諸侯が「宗族」単位で人民を支配していたシステムが崩れ,王がダイレクトに(間に諸侯だの卿だのを挟まず)「戸」単位で万民を支配する中央集権体制が生まれることになります。

 というわけで,まとめ。

戦国時代には,①鉄製農具や牛耕農法が普及して生産力が向上し,②小家族による農業経営が可能になった結果,③宗族を基礎とする封建的な身分秩序が崩壊した。

ふむ


(「戦国時代の社会経済的変化②」につづく)


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