「せんぱい,殷の青銅器ってかっこいいですよね」
「饕餮文(とうてつもん)とか?」
饕餮文。実は何の模様かわかっていない
「それもかっこいいですよね。饕餮(とうてつ)って,体は牛,顔は人,目はわきの下にあって,人を食らうそうです。まさかの逆ミノタウロスです。なんか,上半身の方が魚の『人魚』みたいですよね」
「……前,見えるのかな」
「たぶん,常に両腕を挙げて歩いてるんだと思います」
「二足歩行なの?」
「下半身だけ牛ってどうですか? ケンタウロスみたいに」
「で,両わきを全開にするんだ」
「近づいてくるとき,ちょっとリゾット・ネエロっぽくなりますよね」
俺はおまえに……近づかない
「リゾットは近づかないけどな」
ネタの宝庫。でも講義には役立たない。禹が人面魚身(足なし)の姿をした神だったとか。まさかの逆人魚。治水のときだけ「黄熊」に変身するって,もう「プーさん」としか思えない。ふだんは人面魚で,作業のときはプーさん……。
殷の青銅器
「殷の青銅器は祭器や酒器が主です。祭祀のときには酒が必須なので,酒器も祭器みたいなものですけど。祭祀用のせいか,装飾が妙に凝っていて,実用性をガン無視してる感じがいいですよね」
「確かにゴテゴテしてるね」
「あれ,鋳造で作ってるんです」
「鋳造って,溶けた金属を型に流し込んで作るやつ?」
「そうです」
「高さが1mあったり重さが875kgあったりするのに,鋳型で作ってるんだ」
「そうなんです。せんぱいが言っているのは,たぶん『后母戊鼎(こうぼぼてい)』のことですよね。中国で発掘された青銅器の中で最大のものです。殷墟で発掘されました。かつて『司母戊鼎(しぼぼてい)』と呼ばれていたものです」
「なんで名前が変わったの?」
「銘文に『司母戊』とあったので,『司母戊鼎』と名づけたんですが,『司』だと思っていた字が,よく見ると『后』だったそうです( 「人民網日本語版」2011年3月11日の記事より)。『ごめん,ごめん。読みまちがってたわ。そもそも王の母親のために造った青銅器なのに,『司母』って意味不明だと思ってたんだよね。わりぃ』……」
「そんな態度とってたら,『ごめんは1回!』って怒られそうだよね」
「まちがいないですね! この『后母戊鼎』は,高さ137cm,長さ110cm,幅77cm,重さは875kg。耳つきの風呂桶に四本脚をつけたような形をしています」
后母戊鼎。角ごとに饕餮文,耳部分には虎に食べられる人のレリーフがある
「もちろん,こんな大きなものを1つの鋳型で造るのは無理ですよ」
「だよね。そもそも,875kgの溶けた青銅って,持ち上げるの,すげー大変だもんね」
「70個のパーツに分けて,300人がかりで一斉に鋳造したみたいです。そのあと,パーツを合わせてくっつけたんですって」
「想像もつかないけど,熱くて,重くて,相当な権力がないとそんなもの作らせられないことはわかった」
「そこらの諸侯レベルでは,800kgを越える青銅を集めることもできなかったでしょうね」
殷の紂王
「殷の青銅器はおおむね祭祀用のものです。人面文(じんめんもん)にせよ,饕餮文(とうてつもん)にせよ,虎文(こもん)にせよ,夔龍文(きりゅうもん)にせよ,見るものに恐怖を与えるために鋳込まれました」
「祭政一致の神権政治ってやつだね」
「そうです。エジプトのファラオみたいなものです」
「でも,酒の飲みすぎで天罰が下ったんでしょ」
「殷周革命の中心人物で孔子のアイドルの周公旦(しゅうこうたん)は『殷の民がこぞって酒を飲み、その酒の臭いが天にまで届いたので、天は殷を滅ぼすようにと天命を下したのだ』と言っています(『書経』酒誥)。殷の紂王(ちゅうおう)は酒浸りで,『七日七夜』にわたって酒宴つづけたそうですし(『新序』刺奢),『酒を以て池と為し,肉を懸けて林と為し』,裸の女性千人余りにその間を走らせた『酒池肉林』の逸話(『史記』殷本紀)でも有名ですよね」
「酒池肉林って,夏の桀王じゃなかったっけ?」
「両方です」
「両方?」
「紂王をモデルに桀王の逸話を作ったと考えられています。例えば,夏の桀王には彼をたぶらかした妹喜(ばつき)がいて,殷の紂王にも彼をたぶらかした妲己(だっき)がいます」
「傾国(けいこく)の美女ってやつだね」
「そうです。この二人に,周の幽王をたぶらかした褒娰(ほうじ)を合わせて三大傾国と呼んだりします。夏・殷・周,三つの王朝は,どれもこれも美女にたぶらかされて滅びたことになってるんです」
「女って怖いね」
「せんぱいも気をつけてくださいね」
- 夏:桀王/妹喜/酒池肉林
- 殷:紂王/妲己/酒池肉林
- 周:幽王/褒娰
「紂王は『炮烙(ほうらく)の刑』でも有名ですね。銅の柱に油を塗り,炭火でちんちんに熱したあと,罪人にその上を歩かせるという刑で,柱を渡り切れたら無罪放免という約束だったのですけど,渡り切れたものはおらず,みな焼け死んだそうです」
「無罪放免って夢を見せるあたりがひどいね」
映画『カイジ~人生逆転ゲーム』より。地上74mの鉄骨渡り
「人が焼ける音と臭いを妲己は楽しんだんですって。これだけ聞くと,サディスティックな女だなと思いますけど,のちの呂后(りょこう)がやってみせた『人彘(じんてい)』とか,エリザベート・バートリの『鉄の処女(アイアン・メイデン)』とかの逸話を聞いたあとだと,割とましな方かもと思えてきます」
「すっかり人間に絶望した目をしてるね」
「……ま,こんなことを繰り返していたので,天下の諸侯はみな紂王を見限って,渭水盆地を治めていた西伯に心を寄せるようになります。この西伯こそ,のちの文王です。文王が志半ばで死んでしまうので,結局,紂王を倒すのはその息子の武王ですけど」
「親子で文・武なんだね」
「はい。このあと,紂王の叔父の比干(ひかん)が命がけて紂王を諫(いさ)めます。このままでは天命を失って,殷を滅ぼしてしまうぞ,というわけです。すると,
妲己「あら,この人,聖人として名高い方ですよね」
紂王「世間ではそう言われておるな」
妲己「陛下は疑っておいでなのですね。ふふ。わたし……聖人の内臓には七つの穴があるって話を聞いたことがあるんですけど……」
紂王「ほう。それは,それは。それでは,奴が本当に聖人かどうか確かめてみようか」
ということで,比干は解剖されてしまったそうです」
「……聖人じゃなくても内臓に七つくらい穴が開いてそうだけど」
「胃だけでも,入口と出口で二つありますものね。比干が解剖されるのを見て,もう一人の叔父の箕子(きし)は狂ったふりをしたそうです」
「で,いよいよ武王が紂王討伐の軍を出したわけだ」
「はい。周軍4万5000がなんと殷軍70万を牧野の戦いで破りました。殷軍の将兵は紂王のために命がけで戦う気はなかったわけです」
「ずいぶんとジャイアント・キリングだね」
「J2のチームがペップ監督時代の最強バルサを倒すようなものですね。モチベーションって大事だなと痛感しました」
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