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2016年6月12日日曜日

中国史/古代/夏・殷・周

 封建制とは 



〈封建制度は双務的契約関係〉
それでは,封建制の続きです
「せんせー,ヨーロッパの封建制度と中国の封建制はどこが違うんですか?」
簡単に言えば,君主と臣下の関係が契約関係か血縁関係かです。ヨーロッパの封建制度の場合は『双務的契約関係』と説明されたりします。『契約』の意味はわかりますか?
「けいやく?」
「約束みたいなもの?」
うんうん,素直でいいですね
「2人以上の当事者が合意することによって成立する法律行為のことですよね」
……う,かわいくない。でも,まあ,そのとおりです。例えば,君主(雇う側,封建領主とか)が年収1000ポンドで雇いたいと提案し,臣下(雇われる側,騎士とか)がそれでよいと合意したら契約成立です。君主には約束どおり年収1000ポンド相当の封土を与える義務がありますし,騎士にはそれに見合った働きをする義務があります。戦争が起きたら,その君主側に立って参加しなければならないわけです
「せんせー,その騎士がチキン野郎で,いざ戦争になったらビビって逃げ出した場合はどうなるんですか?」
「そんなチキン野郎,戦場に来たって役に立たねーから,来なくてもよくね?」
「揚げて食べちゃえばいいよね」
「ミンチにして,つくねにした方がいいよ」
「ぶつ切りにして,カレーの具にすれ……」
はい,ストップ! 豚バラ肉以外のカレーなんて考えられません。冒瀆です。ビビって逃げ出したら,その騎士は契約で定められた義務を放棄したわけですから,契約は無効です。封土を取り上げられることになります。ミンチにしたりぶつ切りにしたりする必要はありません。逆に,君主が約束の封土を与えなかったら,今度は君主側が契約を破ったことになるので,騎士に従軍義務はありませんし,その君主のもとを去って別のもっとちゃんとした君主に仕えでもいいです
「敵の君主とかでもいいんですか? 昇給に納得できないから,あえてライバル社に移籍するような」
いいこと,言いますね。もちろんいいですよ


〈封建制は要するに分家〉
一方,中国の封建制では,王はそもそも自分と同じ宗族の一員を封建します。息子とか叔父とか従兄弟とかです
「『一族・功臣を諸侯にした』んじゃないんですか?」
教科書にはそう書いてありますね。確かに功臣も封建してるんです。例えば,周の文王・武王に仕えて殷周革命を成功させたのが,弁当売りの太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう)です。釣りをしているところを文王にスカウトされました
「なんかすごく役に立たなさそう……」
何を言ってるんです。大活躍しましたよ。革命後,この太公望を山東半島の営丘の地に封建しました。それが戦国の七雄にも名前を連ねる『斉』です。でも,『一族・功臣を諸侯にした』と理解すると,血縁関係=宗族関係を基盤としたという西周封建制の特長があいまいになってしまうんです
「せんせー,そもそもどうして諸侯を置いたんですか? はじめから官僚を派遣して,中央集権体制で統治すればよかったのに」
いい質問しますね。でも,それは後知恵の意見です。彼らは初めて『広大な領域を支配する』という難事業に挑んだわけです。今なら国家統治のノウハウが蓄積されていますから,彼らよりも優れたアイデアを出せますけど,当時は,まあ,難しいですよね。彼らも,どうしたら広大な地域を治められるのか,探り探り進めていたはずです。ちなみに,西周が諸侯を置いたのは,鎮圧に3年かかった大規模な反乱がきっかけです。ところで,殷を滅ぼしたのはだれか覚えていますか?
「はい!」
じゃあ,そこの坊主
「せんせー,これ,クルーカットです。モデルはアメリカの海兵隊です」
じゃあ,そこの海兵(マリーン),答えは? センパーファイ!(常に忠誠を)
「周の文王(ぶんおう)です,軍曹。センパーファイ!」
惜しい。実際に殷を滅ぼしたのはその子の武王(ぶおう)の方です。お父さんの文王はその仁徳で周の声望を高めて,殷周革命の下地をつくった人ですね。あと,易(えき)の六十四卦をつくったりしています。
「易? 易とはなんですか,軍曹」
まだつづけるんですね……。占いの一種です。『当たるも当たらぬも八卦』のやつ。八卦に八卦をかけて六十四卦です。さて,武王は殷の紂王を牧野で破ったあと,早々に亡くなります。あとを継いだのが幼い成王と周公旦(しゅうこうたん)です。周公旦は,周の基礎を築いた人で,のちに孔子のアイドルになります。孔子は夢に周公旦が出て来なくなっただけで,ずいぶんと落ち込んでいます

「で,その人が封建制をはじめたんですか?」
そのとおりです! 素晴らしい。武王の死後,周公旦が幼い成王に代わって実権を握ると,武王を中心にまとまっていた周の陣営に亀裂が入り,その隙を突いて殷の残存勢力が大規模な反乱を起こしました。周公旦はこれを何とか鎮圧したのち,
  1. 紂王の庶子の微子(びし)を『宋』の地に封建して殷の祭祀を引き継がせ,
  2. 武王の末弟の康叔(こうしゅく)を殷の中心地だった『衛』の地に封建して殷の民を統治させ,
  3. 殷の民のうち最も反抗的なものを現在の洛陽の地に強制移住させて洛邑(らくゆう)を建設しました。
これが封建の初例です。もと殷の民を監視して,反乱を起こさせないという意図で始まったわけです。なお洛邑は西周第二の都となります。第一の都が現在の西安の地にほど近い鎬京(こうけい)で,第二の都が洛邑(らくゆう)です

「せんせー,『封建する』って,具体的にどうするんですか?」
いい質問しますね。周王は宗族の1人,自分の弟や叔父や従兄弟を選んで諸侯とし,封土として与えた土地に送り出します。このとき,その土地にはまだ邑=都市はできていません。送り出された諸侯が開墾して,そこに邑を建設します。もちろん1人では何もできないので,周王は支配下の民を一族単位でいくつか一緒に送り出します。例えば,康叔を封建するときにはもと殷民の7つの氏族(陶氏・施氏・繁氏・錡氏・樊氏・饑氏・終葵氏)を分け与えています。封建とは,移民でもあったわけです。封土に到着した諸侯は,率いていてきた民とともに,祖先を祭る宗廟(そうびょう)と,土地神と穀物の神を祭る社稷(しゃしょく)を建て,邑の建設予定地の四方に版築の技法で,つまり土を盛って,境界線を引きます。この“土を盛って邑の境界を定める”ことを『封(つちもり)す』と呼びます。このあと,諸侯は邑を建設して,自分の国とするわけです。というわけで,『封建する』とは,(つちもり)させて,諸侯国をてさせることです
「一族を送り出して,新しい国をつくらせたわけですね」
そのとおりです。要するに,分家ですね。周王にとって信頼できるのは血のつながった一族ですから,次々と分家して一族の国を隅々にまで作ることで,天下を統治しようと考えたわけです。諸侯国を『藩』と呼びますが,これは周王室を守る垣根=藩屏(はんぺい)という意味です


〈分家の分家,分家の分家の分家が身分秩序をつくる〉
 周王室は『姫(き)』を姓とします。周王の跡継ぎは長男であり,長男と次男や三男との間には優劣がつけられました。これを『長幼の序』と呼びます。もちろん正室の産んだ嫡子(ちゃくし)と側室の産んだ庶子(しょし)との間にも厳密な差が設けられました。こうした細かな決まりを宗法(そうほう)と呼びます。僕らにとってはなんとなく常識に感じますけど,封建制を維持するためにつくられた道徳だったわけです。

  1. 周王の地位は嫡子かつ長男(長嫡子)が継承し,宗廟と社稷を引き継いで祭祀を続けます。
  2. 周王の実弟(次男以降の嫡子)と異母兄弟(庶子)は封土(公邑)を与えられて諸侯となります。要するに,分家です。このとき,周王室=本家を『大宗』,諸侯=分家を『小宗』と呼びます。
  3. 諸侯の地位はその長嫡子が継承し,宗廟と社稷を引き継いで祭祀を続けます。また封邑の名前を氏としました。例えば,衛に封建された康叔の子孫は『衛』を氏とし,魯に封建された伯禽(はっきん)の子孫は『魯』を氏としました。諸侯には『姫』姓のほか,『衛』氏や『魯』氏といったもう1つのファミリーネームがあったわけです。
  4. 諸侯の実弟と異母兄弟は封土(采邑)を与えられて卿・大夫になりました。これも分家です。このときは諸侯=本家で大宗,卿・大夫=分家で小宗です。この卿・大夫も,はじめは『公子』(諸侯の子),『公孫』(諸侯の孫)と名乗りますが,その後は邑の名前を氏としました。
  5. 卿・大夫の地位は嫡子の長男が継承し,その実弟と異母兄弟は士になります。
  6. 士の地位は嫡子の長男が継承しますが,残りはすべて庶人=一般人になります。なお士までが貴族階級です。上級貴族が卿・大夫,下級貴族が士です。
 このように,分家を繰り返して,周王→諸侯→卿・大夫→士という階層型の社会構造をつくりました。宗法では,大宗(=本家)は小宗(=分家)の上に位置づけられていたので,周王→諸侯→卿・大夫→士はそのままピラミッド型の身分秩序になりました。周王の方が諸侯よりも地位が上であり,諸侯の方が卿・大夫よりも地位が上……というように。
 中国の封建制が血縁関係=宗族関係を基礎にする,と説明されるのはそのためです。西洋の封建制度とはずいぶんと違いますよね。


〈異姓諸侯をどうするか〉
 さて,同姓諸侯ばかりで,すべて『姫』姓一族なら問題ないわけですが,実際は功臣も諸侯にしましたから,この本家・分家関係=宗法が通用しない異姓諸侯もいるわけです。それでは,彼らをどうすればよいのか。
 周王は彼らと姻戚関係を結ぶことで,この問題をクリアしようとしました。娘と異姓諸侯を結婚させることで,彼らを『娘婿』にして,『義理の父』としてその上に立ったわけです。ちなみに,王室から『姫』姓の女性が続々と異姓諸侯のもとに送り込まれたので,いつしか王女のことを『姫(ひめ)』と呼ぶようになりました。

2016年5月28日土曜日

中国史/古代/夏・殷・周

 封建制とは 




〈封建制と封建制度〉
今日は中国史の重大テーマ,封建制(ほうけんせい)についてお話ししましょう。ところで,みなさん,『封建制』って聞いたことがありますか?
「御恩と奉公!」
「土地!」
「いざ,鎌倉!」
「武士!」
「せんせー,西洋の騎士は?」
「封建制度って,ゲルマンの従士制とローマの恩貸地制が融合して生まれたものですよね?」
「それはフューダリズムのことだろ」
「違うよ,レーン制のことだって。一緒にしちゃダメだよ」
「どっちも同じ封建制度を指す言葉だけど,レーン制は“土地を媒介とした主君と臣下の関係”を説明しているものの,領主対農民の支配隷属関係を含んでいないのが問題だ。これまでの歴史は階級闘争の歴史だった。特権階級の領主と,彼らから搾取され虐げられた農民との対立関係を抜きの概念なんてまったく意味が……」
はい! ストップ! そこまで。えーと,……あなたがた,自分たちの設定が小学生ってこと,覚えてますか? しかも,ひとりマルクス主義者が混じっていましたね。設定を忘れないように
「はーい」
「せんせー,『封建制』って,西洋史でも日本史でも出てきますけど,同じ感じですか?」
いい質問ですね。西洋史の封建制度と日本史の封建制度は似ていますけど,それと中国史の封建制はまったく別物です。名前も,西洋史と日本史の方は『封建制度(ほうけんせいど)』,中国史の方は『封建制(ほうけんせい)』で,実は使い分けています
「せんせー,違いが微妙です!」
そうですね。西洋史の方をあえて『フューダリズム』とか『レーン制』と呼んで区別することもありますよ


〈封建制と封建制度の共通点〉
さて,まずは両者の共通点から見ていきましょう。封建制と言えば,何を思い出しますか?
「御恩と奉公!」
「土地!」
「いざ,鎌倉!」
はい。ありがとう。さっきと見事に同じですね。その通りですよ。まず武士あるいは騎士が君主から土地を与えられます。この土地を封土(ほうど)と呼びます。この封土から得る地代や租税が彼らの収入になります。封土を与えられた武士・騎士はこの主君から受けた御恩に対して,軍事的な貢献でお返しをします。これが奉公です
「ギブ&テイクですね」
そうなんです。主君に対する忠誠心なんて,サラリーを払っている間しか持ちません。金の切れ目が縁の切れ目。サラリーを払ってくれない君主なんて,バイバイです
「騎士なんて性悪女と同じですね。金の切れ目が縁の切れ目。貢いでくれない男なんて,バイバイ……」
その通りです! もう最悪です。これまで費やしてきたものを返せって話ですよね。記念日のたびにこっちがどれだけ努力して……
「返せって……。せんせー,割と引くー」
「ボクもー」
「こっぴどいフラれ方をしても,『素晴らしい思い出をありがとう』って言える器が欲しいよね」
「せんせー,大丈夫! きっと,もっといい人が現れるよ!」
そうですね。ありがとう。でも,先生にとって彼女は国士無双。忠誠心は揺らぎもしてないです
「……」
さて,さて,封建制度では,サラリーではなく土地なので,土地の切れ目が縁の切れ目になります。例えば,軍事的功績を立てながら,土地の加増がないと,武士・騎士たちはものすごく不満を貯めます。がんばったのに! と怒るわけです。場合によっては,もっといい人のところに行ってしまいます
「なんか,主君の立場って弱いんですね」
そうですね。臣下たちをつなぎとめるには,たえまなく加増しつづけるしかないわけですから。あるいは,50年も100年も前に土地を与えたことを,いつまでも思い出させて恩に着せつづけたりします
「うわぁ」
ね,引きますよね。西周の青銅器の多くは,実は恩を着せる目的で造られています。殷の青銅器よりも西周の青銅器の方が,鋳込まれている文字の数がどんどんと多くなっていって,中には毛公鼎のように500字近く鋳込まれたものも現れます。その内容は,簡単に言うと,かつて周王があなたの祖先に土地を与えたことを忘れるな,です
「一度,贈ったブランドもののバッグのことをいつまでも持ち出しては,『ね,あれ,使ってる?』とか聞いてくるケチな男と一緒ですね。もうとっくにヤフオクに出したっていうのに……」
それはそれで問題ですね。あと,明らかに設定忘れてますよね
「……」
さて,中国の封建制でも,周王が諸侯に封邑を与えて,諸侯はその御恩に対して軍事的貢献をしたり貢納したりして応えるわけですから,この点では西洋史と日本史の封建制度と変わりません
「じゃあ,どこが違うんですか?」


それはね……次の授業で


(つづく)

2016年5月8日日曜日

中国史/古代/夏・殷・周

 饕餮文 

「せんぱい,殷の青銅器ってかっこいいですよね」
「饕餮文(とうてつもん)とか?」

饕餮文。実は何の模様かわかっていない


「それもかっこいいですよね。饕餮(とうてつ)って,体は牛,顔は人,目はわきの下にあって,人を食らうそうです。まさかの逆ミノタウロスです。なんか,上半身の方が魚の『人魚』みたいですよね」
……前,見えるのかな
「たぶん,常に両腕を挙げて歩いてるんだと思います」
二足歩行なの?
「下半身だけ牛ってどうですか? ケンタウロスみたいに」
で,両わきを全開にするんだ
「近づいてくるとき,ちょっとリゾット・ネエロっぽくなりますよね」


俺はおまえに……近づかない


リゾットは近づかないけどな




ネタの宝庫。でも講義には役立たない。禹が人面魚身(足なし)の姿をした神だったとか。まさかの逆人魚。治水のときだけ「黄熊」に変身するって,もう「プーさん」としか思えない。ふだんは人面魚で,作業のときはプーさん……。


 殷の青銅器 

「殷の青銅器は祭器や酒器が主です。祭祀のときには酒が必須なので,酒器も祭器みたいなものですけど。祭祀用のせいか,装飾が妙に凝っていて,実用性をガン無視してる感じがいいですよね」
確かにゴテゴテしてるね
「あれ,鋳造で作ってるんです」
鋳造って,溶けた金属を型に流し込んで作るやつ?
「そうです」
高さが1mあったり重さが875kgあったりするのに,鋳型で作ってるんだ
「そうなんです。せんぱいが言っているのは,たぶん『后母戊鼎(こうぼぼてい)』のことですよね。中国で発掘された青銅器の中で最大のものです。殷墟で発掘されました。かつて『司母戊鼎(しぼぼてい)』と呼ばれていたものです」
なんで名前が変わったの?
「銘文に『司母戊』とあったので,『司母戊鼎』と名づけたんですが,『司』だと思っていた字が,よく見ると『后』だったそうです( 「人民網日本語版」2011年3月11日の記事より)。『ごめん,ごめん。読みまちがってたわ。そもそも王の母親のために造った青銅器なのに,『司母』って意味不明だと思ってたんだよね。わりぃ』……」
そんな態度とってたら,『ごめんは1回!』って怒られそうだよね
「まちがいないですね! この『后母戊鼎』は,高さ137cm,長さ110cm,幅77cm,重さは875kg。耳つきの風呂桶に四本脚をつけたような形をしています」

后母戊鼎。角ごとに饕餮文,耳部分には虎に食べられる人のレリーフがある


「もちろん,こんな大きなものを1つの鋳型で造るのは無理ですよ」
だよね。そもそも,875kgの溶けた青銅って,持ち上げるの,すげー大変だもんね
「70個のパーツに分けて,300人がかりで一斉に鋳造したみたいです。そのあと,パーツを合わせてくっつけたんですって」
想像もつかないけど,熱くて,重くて,相当な権力がないとそんなもの作らせられないことはわかった
「そこらの諸侯レベルでは,800kgを越える青銅を集めることもできなかったでしょうね」


 殷の紂王 

殷の青銅器はおおむね祭祀用のものです。人面文(じんめんもん)にせよ,饕餮文(とうてつもん)にせよ,虎文(こもん)にせよ,夔龍文(きりゅうもん)にせよ,見るものに恐怖を与えるために鋳込まれました」
祭政一致の神権政治ってやつだね
「そうです。エジプトのファラオみたいなものです」
でも,酒の飲みすぎで天罰が下ったんでしょ
「殷周革命の中心人物で孔子のアイドルの周公旦(しゅうこうたん)は『殷の民がこぞって酒を飲み、その酒の臭いが天にまで届いたので、天は殷を滅ぼすようにと天命を下したのだ』と言っています(『書経』酒誥)。殷の紂王(ちゅうおう)は酒浸りで,『七日七夜』にわたって酒宴つづけたそうですし(『新序』刺奢),『酒を以て池と為し,肉を懸けて林と為し』,裸の女性千人余りにその間を走らせた『酒池肉林』の逸話(『史記』殷本紀)でも有名ですよね」
酒池肉林って,夏の桀王じゃなかったっけ?
「両方です」
両方?
「紂王をモデルに桀王の逸話を作ったと考えられています。例えば,夏の桀王には彼をたぶらかした妹喜(ばつき)がいて,殷の紂王にも彼をたぶらかした妲己(だっき)がいます」
傾国(けいこく)の美女ってやつだね
「そうです。この二人に,周の幽王をたぶらかした褒娰(ほうじ)を合わせて三大傾国と呼んだりします。夏・殷・周,三つの王朝は,どれもこれも美女にたぶらかされて滅びたことになってるんです
女って怖いね
「せんぱいも気をつけてくださいね」

  1. 夏:桀王/妹喜/酒池肉林
  2. 殷:紂王/妲己/酒池肉林
  3. 周:幽王/褒娰

「紂王は『炮烙(ほうらく)の刑』でも有名ですね。銅の柱に油を塗り,炭火でちんちんに熱したあと,罪人にその上を歩かせるという刑で,柱を渡り切れたら無罪放免という約束だったのですけど,渡り切れたものはおらず,みな焼け死んだそうです」
無罪放免って夢を見せるあたりがひどいね

映画『カイジ~人生逆転ゲーム』より。地上74mの鉄骨渡り


「人が焼ける音と臭いを妲己は楽しんだんですって。これだけ聞くと,サディスティックな女だなと思いますけど,のちの呂后(りょこう)がやってみせた『人彘(じんてい)』とか,エリザベート・バートリの『鉄の処女(アイアン・メイデン)』とかの逸話を聞いたあとだと,割とましな方かもと思えてきます」
すっかり人間に絶望した目をしてるね
「……ま,こんなことを繰り返していたので,天下の諸侯はみな紂王を見限って,渭水盆地を治めていた西伯に心を寄せるようになります。この西伯こそ,のちの文王です。文王が志半ばで死んでしまうので,結局,紂王を倒すのはその息子の武王ですけど」
親子で文・武なんだね
「はい。このあと,紂王の叔父の比干(ひかん)が命がけて紂王を諫(いさ)めます。このままでは天命を失って,殷を滅ぼしてしまうぞ,というわけです。すると,

妲己「あら,この人,聖人として名高い方ですよね」
紂王「世間ではそう言われておるな」
妲己「陛下は疑っておいでなのですね。ふふ。わたし……聖人の内臓には七つの穴があるって話を聞いたことがあるんですけど……」
紂王「ほう。それは,それは。それでは,奴が本当に聖人かどうか確かめてみようか」

ということで,比干は解剖されてしまったそうです」
……聖人じゃなくても内臓に七つくらい穴が開いてそうだけど
「胃だけでも,入口と出口で二つありますものね。比干が解剖されるのを見て,もう一人の叔父の箕子(きし)は狂ったふりをしたそうです」
で,いよいよ武王が紂王討伐の軍を出したわけだ
「はい。周軍4万5000がなんと殷軍70万を牧野の戦いで破りました。殷軍の将兵は紂王のために命がけで戦う気はなかったわけです」
ずいぶんとジャイアント・キリングだね
「J2のチームがペップ監督時代の最強バルサを倒すようなものですね。モチベーションって大事だなと痛感しました」



2016年5月5日木曜日

中国史/古代/夏・殷・周

STEP 3             


 殷の始祖はツバメの子 

「せんぱい,殷の始祖は契(せつ)と言うんですけど,誕生秘話がなかなかのものなんです」
どんななの?
「契の母親の簡狄(かんてき)は,五帝のひとり帝嚳(こく)の次妃だったんですけど,ある日,川で水浴びをしていたところ,玄鳥(つばめ)が卵を落としていったんです」
巣に,じゃなくて?
「はい。巣に,じゃなくて」



スズメ目ツバメ科。全長約16cm。卵は長経2cm,短径1cmほど。



「で,その卵を拾って飲んだところ,契をみごもったんですって」
落ちてるものを食べたらダメって教わらなかったのかな
「教わってたら,殷王朝は始まらなかったでしょうね」
じゃあ,紂王の豪快なエピソードもなくなるわけだ
「残念ですよね!」
ところで,殷王朝って,なんで夏王朝に取って代わったの?


 夏の桀王 

「夏王朝の最後の王は,桀王(けつおう)と言うんですけど,この王がどうしようもない王で,殷の紂王とともに暴君の代名詞になってます」
どんなことをしたの?
「せんぱい,期待に満ちた顔をしてますね。ちょっと引きました。……ま,大したことはしてないですよ。征服した国から奪った絶世の美女――妹が喜ぶと書いて妹喜(ばつき)に入れ込んで,やたら豪華な宮殿を造営したり,ぜいたくの代名詞『酒池肉林』を楽しんだり,高価な絹を引き裂いたり……」
えーと,絹を切り裂く?
「女性の悲鳴のような,すごい音がするんですけど,その音を聞くと,妹喜が笑ったんだそうです」
? 悲鳴のようなのに?
「悲鳴のようなのに。桀王は彼女の笑顔を見るためだけに,高価な絹を次々と裂いてゴミにしたんです。それから,王の愚行を止めようとした関竜逢をまさかりで一刀両断にしてます」
なかなかパワフルだね
「そうなんです。で,結局,殷の湯王に殺されちゃうんです」


 殷の湯王 

湯王は殷王朝を開いた人です。彼は美味しいものの話を通じて料理人の伊尹(いいん)と仲良くなり,この伊尹に政治をすべて任せます」
大抜擢だね。平野レミさんが料理の話を通じて陛下に気に入られて,いきなり総理大臣に任命されるような感じでしょ
「そのとおりです! 決断力がすごいですよね!」
すごすぎるね
「ですよね! それから,まだ桀王と戦う前なんですけど,湯王が郊外をプラプラしていたら,ある男が網を張って,『上下四方の鳥たちよ,みな我が網にかかれい!』と祈っているところに出くわしたんです。そしたら湯王は『それじゃあ,鳥を獲り尽くしてしまうではないか』と言って,『右に行きたいものは右に行け。左に行きたいものは左に行け。我が命に従わぬものだけ,網にかかれい!』と祈らせたそうです。逃げろ,逃げたくない奴だけ網にかかれ,というわけです」
そんな鳥いるかな?
「さあ。そもそも言葉が通じないですよね。とにかく,これを聞いて諸侯は『湯王の徳は禽獣にまで及んでいる』と言って,感服したんだそうです」
じゃあ,夏の桀王は総スカンを食らってるし,逆に殷の湯王はみなから慕われているし……で,舞台は整ったわけだ
「そうなんです。湯王の戦車部隊がついに鳴条(めいじょう)の戦いで桀王を撃破しました」
戦車!?


これが開発されたのは第一次世界大戦のとき


「ゼッタイ違うのを想像してますよね。チャリオッツの方です」
チャリオッツ!?


これはシルバー・チャリオッツ。J.P.ポルナレフのスタンド


「なんか,まだ違うのを想像してる気がする。四頭立ての二輪馬車です。殷墟からも出土してますよ」
戦車が?
「馬もです」
そのころ,もう戦車があったんだ
「戦車が生まれたのは前2500年ころのメソポタミアで,シュメール人が初めて戦争に投入したそうです。ウルの軍旗(スタンダード)によれば,四輪で,兵士が上から投げ槍(ジャベリン)を投げていて,引いているのはロバだったそうです」
ロバ!?
「ともかく,この戦車が1000年くらい時間をかけて中国まで伝わったわけです。中国で初めて戦車を使ったのが殷だと言われています」
じゃあ,夏は桀王の暴虐うんぬんは抜きにして,この最新軍事テクノロジーに敗れたわけだ
「そうなんです」


2016年5月4日水曜日

中国史/古代/夏・殷・周


STEP 3             

シーナ,王懿栄の話ってかっこいいな
「井戸に投身自殺するところとか?」
外国の軍隊に首都を蹂躙されたから自殺ってさ,憂国の士って感じでかっこいいよね
「ですよねー。民衆を飢えから救うために,責められるのを覚悟で国庫を開いた劉鶚もかっこいいですよね」
かっこいい!
「でも,劉鶚がたまたま漢方薬の『竜骨』に書かれた甲骨文字を見つけたって下り,あれ,ウソだそうです」
えー
「ニュートンのリンゴと同じで,甲骨文字発見の逸話をドラマチックに仕立てたんじゃないかって言われてます」
残念……小説の題材とかになってるのに
「ま,よく広まってる話ってそんなものですよね」





原始時代から春秋戦国時代までを扱う中国古代史の名著。専門的になりすぎず,概説すぎてもいない絶妙なバランス。



 黄帝と蚩尤 

夏・殷・周の前の話って,黄帝とか堯・舜とかいろいろ名前が出てきて,よくわからないんだけど
黄帝(こうてい)とかかっこいいですよ。ライバルの蚩尤(しゆう)と大戦争をするんですけど,この蚩尤もかっこいいんです!」
銅の頭に鉄の額のところとか?
「そうです! ……っていうか,せんぱい,けっこうどうてもいいこと知ってますよね。」
ほっとけ
「そもそも蚩尤は軍神で,斧,剣,戈,戟,鎧,楯,弓矢といった金属製の兵器を開発したとされています。人の身体に牛の頭と蹄を持ち,目は4つ,腕は6本……」
なんだそれ,勇者に退治されるレベルじゃないか

蚩尤。両手・両足・頭に武器を装備。


「そうなんです! ミノタウロスですよね」
誰かテセウスを!
「でも,蚩尤はミノタウロスを越えてますよ。数々の魑魅魍魎を召喚し,雨,風,靄,霧を自在に起こせるんです」
すごい!
「黄帝も負けてないですよ。額に角が生えてますし,虎,豹,熊,羆といった猛獣を操って戦わせるんです。ふたりの軍が――といっても魑魅魍魎v.s.猛獣軍団ですけど――涿鹿の野で衝突したときには,蚩尤が霧を起こして黄帝の軍を包み込んで,黄帝の兵士たちは右も左もわからなくなって混乱するんです」
虎とか豹とかなら,嗅覚で何とかなるんじゃね
「それはスルーで。……で,黄帝はこのとき,『指南車』と呼ばれる,常に南を向く方位磁針を開発して方角を知り,この苦難を乗り越えるんです」
……敵の位置さえわかればいいんだから,方角は関係なくね
「それはスルーで。……ま,とにかく黄帝が勝利して,蚩尤は斬られることになりました。ちゃんちゃん」

なんか,ツッコミどころが多いなあ



 三皇五帝 

で,そろそろ堯・舜とかの話を教えて
「せんぱい,中国で最も有名な歴史書は?」
そりゃ,司馬遷(しばせん)の『史記』でしょ。武帝に大事なムスコを切られたから,その恨みをすべて歴史書編纂にぶつけたっていう
「なんか,いろいろ誤解させるなあ」
で?
「『史記』は歴史の始まりから司馬遷の生きた武帝の時代までを扱った歴史書です。じゃあ,何の話から始まるかと言えば,『五帝』の話からなんです」



訳本があるので,簡単に原典に当たれます。これって幸せなこと。逆に言えば,『史記』を日本語訳で読めるのに,これを読まずに中国古代史を語るのは論外って言われてしまいます。


五帝っていきなり強そうだな
「はい。五帝のラインナップは,筆頭が黄帝で,以下,頊顓(せんぎょく),帝嚳(こく),帝(ぎょう),帝(しゅん)と続きます」
黄帝は猛獣を操ったけど,それぞれ必殺技的な能力を持ってそうだね。『皇帝の眼(エンペラーズ・アイ)』とか。……あれ? 禹は『五帝』に入らないんだ?
「そうなんです。禹は五帝の時代を引き継いだ人物という位置づけです。いずれにせよ,『五帝』は神話や伝説のたぐいですね」
そりゃ,そうだろうね。虎だの羆だのを率いて,鉄の頭のミノタウロスと戦ったなんて,ぜったいウソだと思う

「五帝伝説の誕生には,戦国時代に生まれた五行思想の影響があると言われてます」
五行って,火・風・水・土の四大元素説の中国版?
「はい。五行説の場合は,木・火・土・金・水で,風がなくて,木と金が加わります。火属性のモンスターには水属性の武器や呪文で攻撃を加えるように,五行説でも,水属性のモンスターには木属性の武器や呪文で攻撃すると効果的です」
木属性の武器って,『こんぼう』とか『ひのきのぼう』? ラスボスが水属性だったら,すげえ困りそう
「わたし,素手で『りゅうおう』倒しましたよ」
すごい!
「とりあえず五行説が流行すると,なんでもかんでも五に合わせるようになるんです。色なら青・赤・黄・白・黒,方角なら東・南・中央・西・北,神獣なら青竜・朱雀・黄麟(黄竜)・白虎・玄武という感じで。それで,夏・殷・周の『三代』の前に『五帝』の時代があったことにして,バラバラに伝わっていた伝説の帝たちをその『五帝』に入れたんです。ですから,『五帝』のラインナップも本によってバラバラです」
そうなんだ

「そのあと,『五帝』の前に,さらに『三皇』の時代が付け加えられました。これもラインナップはいろいろですが,基本的に,天皇・地皇・人皇(あるいは泰皇)の三人で,天・地・人に合わせた神さまです。明らかに取ってつけた感があって,エピソードはフワフワしてます」
ま,名前がいきなりそんな感じだよね

「というわけで,まとめると……」



(写真はイメージです)
  • 三皇 (神話の時代。日本で言えば,アマテラスオオミカミとかスサノオノミコトのレベル
  • 五帝 (伝説の時代。高徳の聖王たちの時代
  • 夏・殷・周 (歴史時代。ただし夏は伝説


「という感じです」

ありがとう! 今日はここでお腹いっぱい



2016年5月3日火曜日

中国史/古代/夏・殷・周

 甲骨文字の発見 


 甲骨文字は,亀の腹甲や牛の肩甲骨に刻まれた古代の文字です。

 その発見については,よくできた話があります。


 時は19世紀末。1899年のこと。清はイギリス・フランス・ドイツ・ロシア・日本といった列強の進出に苦しんでいました。これらの国は中国を植民地にしようとしていました。

 清の国子監祭酒(東大総長兼文部科学大臣みたいなもの)の王懿栄(おういえい)は,このころ持病のマラリアに苦しんでいました。マラリアは,蚊を媒介として広がる伝染病で,感染すると1日おきや2日おきに40度近くまで発熱します。治療せずに放置すると,慢性化して,定期的に高熱に襲われるようになります。王懿栄のマラリアはすっかり慢性化していました。

 ある日,王懿栄はこのマラリアの治療薬として漢方薬の「竜骨」を試すことにしました。

もちろん伝説の生き物


「竜骨」とは,もちろん伝説のドラゴンの骨という意味ですが,実際は出土した化石獣骨だったそうです(化石,しかも動物の骨を粉にして飲むなんて、むしろ体に悪そうですけど)。この「竜骨」に「文字らしきもの」が刻まれていることに気づいたのが,食客の劉鶚(りゅうがく)という男でした。字(あざな)を「鉄雲」と言うので,劉鉄雲と書かれていることも多いです。食客とは,要するに居候のことで,劉鶚は王懿栄の家でタダ飯を食らいながら,金石学,水利学,数学,医学など,マルチに研究をしていました。だからこそ,竜骨に刻まれた「失われた古代文字」に気づけたわけです。

 王懿栄と劉鶚は,薬屋からありったけの「竜骨」を入手し,古代文字の研究を始めました。

 翌1900年,義和団事件が起きます。「扶清滅洋」を掲げた農民組織(拳法を身につけた集団で,呪文を唱えれば,銃弾でも跳ね返せると割と本気で信じていました)が,列強=外国勢力を中国から追い払おうとして首都北京に攻め上がり,外国公使館のある区域を包囲しました。これに対し,自国民を救出するため,列強八カ国の連合軍が中国に上陸し,北京を占領しました。このとき,団錬大臣(民間自警組織のまとめ役)を任されていた王懿栄は,これを憤り,毒をあおったのち,井戸に身を投げて自殺してしまいました。

 劉鶚も,義和団事件の混乱の中,政府に無断で国の備蓄米を放出し,民に分け与えて救済したので,その罪を問われて遠く新疆(しんきょう)に流されてしまいました。そうした苦難の中,彼は王懿栄とともに集めた「竜骨」の資料1058片分をまとめ,1903年に『鉄雲蔵亀』を発刊。この中で,「竜骨」に刻まれた文字を「甲骨文字」と名づけ,殷の王が占いに使ったものだと推定しました。

甲骨の「甲」はカメの甲。占いのためにどれだけのカメさんが……。ちなみに,お腹側の甲羅。


 劉鶚は1909年に亡くなりますが,このあと,羅振玉や王国維らの研究が続き,甲骨文字の多くが解読されることになります。



 殷墟の発見 

 問題は「薬屋がどこから『竜骨』を仕入れていたのか」です。


 薬屋の話では,河南省の田舎で農民が土の中から掘り出している,とのことでした。そこで,1928年,「竜骨」が出土する河南省安陽市小屯を本格的に発掘調査したところ,殷王朝第19代盤庚(ばんこう)から最後の第30代紂王(ちゅうおう)まで使われていた王都の遺跡群が見つかりました。

 これが「殷墟」です。殷の人々が「大邑商」と呼んでいた都です。

 ここでは,2万8000余片の甲骨文字資料が見つかり,それを解読した結果,殷王朝後期の系譜を復元できました。その内容は,驚くべきことに,殷滅亡からおよそ900年後に編纂された『史記』が載せる殷王朝の系譜と見事に一致しました。


 こうして殷王朝の実在が確認されたのです。


2016年4月28日木曜日

中国史/古代/夏・殷・周

STEP 3             


 殷と商のちがいって   

シーナ,ちょっと聞いていい?
「なんですか,せんぱい」
殷って必ず『殷(商)』って書かれてるんだけど,この『(商)』ってどういう意味? カッコショウって。どっちも同じ?
「基本的には同じだけど,『殷』は王朝の名前で,『商』は都の名前なんです。甲骨文字では,殷の人々は自分たちのことを『商』って呼んでるから,彼らのことを商と呼ぶべきだ,という意見もありますよ。わたしは王朝の名前である『殷』で覚えるべきだと思ってますけど」

(写真はイメージです)


 王朝って何?      

……あの,今さらだけど『王朝』って,何?
「……」
ちょっと,その呆れた感じの目,やめてもらってもいい? なんか興奮する
「……王朝は,国王とか皇帝の地位を代々世襲する家系のことです。例えば,北朝鮮は,建国以来,金日成→金正日→金正恩と,三代にわたって国家元首の地位を世襲しているから,『金王朝』と呼ばれたりしてます。同じように,殷では,姓が『子』の家系が代々王位を世襲してました。この子姓の王朝を『殷』と呼んでます。ちなみに,次の周は姫姓の王朝です」
じゃあ,殷とか周っていうのは,国の名前じゃないんだ?
「違いますよ,せんぱい。フランス史で,フランク王国,メロヴィング朝,カロリング朝って習うじゃないですか。『フランク王国』が国の名前で,『メロヴィング朝』と『カロリング朝』が王朝の名前です。中国の場合は,国の名前はなくて,王朝の名前だけ勉強してるんです」


 禹ってだれ?      

「ところで,せんぱい,(う)ってかっこいいと思いません?」

(写真はイメージです)


歩いたあとが北斗七星になるところとか?
「そこもかっこいいですよね」
でもさ,伝説の聖天子の(ぎょう)は有徳者の(しゅん)に帝位を譲ったし,舜も有徳者の禹に帝位を譲ったけど,禹は実の息子に帝位を世襲させて夏王朝を開いたわけでしょ。堯・舜と比べるといちだん落ちる気がする
「なんか,王朝の概念にいきなりなじんでますね」
君のおかげだよ
「うわぁ……ま,ともかく,禹は舜の命を受けて天下中を回り,体をボロボロにしながら洪水対策を行うんですけど,そのときの部下の益(えき)にちゃんと帝位を譲ってるんです。禹が崩御してから,益は帝位を禹の子どもの啓(けい)に譲り,天下の人々も益より啓を支持したから,結果的に啓が帝位を世襲して夏王朝を開いちゃっただけなんです」
へえ……ちゃんと禅譲してたんだ。で,禹のどこがかっこいいの?
「ボロボロになったところ。あと,お父さんから生まれたところ」
お父さんから?
「そうなんです。禹のお父さんの鯀(こん)は,帝舜から洪水を止めるよう命を受けたんですけど,そのとき神さまから“限りなく増え続ける魔法の土”を盗んで堤防を作ったんです。でも,それでも洪水は止められず,そのうえ怒った神さまに石にされちゃうんです。三年後,誰かがなぜか石化した鯀の腹を刀で開いてみたら,中から赤ちゃんの禹が出てきたんです」
刀で? 石を? というか,なんでだろ
「不思議ですよね! ちなみに,禹があるとき熊に変化して,それを見て奥さんが逃げて石になっちゃうんです。禹が『オレの子を返せ!』って追いかけながら叫ぶと,奥さんの北側が開いて,中から息子の啓が出てきたそうです。親子二代で石から生まれるって,素敵ですよね」
いや,熊になって石になって啓が出てきてって,情報量が多すぎてついてけない
(参考:張光直著『古代中国社会――美術・神話・祭祀――』東方書店)


 ちなみに,堯・舜・禹は伝説の聖天子です。

 「五帝」のひとり(ぎょう)が帝位を息子に世襲させず,親孝行で有名だった(しゅん)に譲ったことを「禅譲(ぜんじょう)」と呼びます。舜も帝位を息子に世襲させず,治水に功績のあったに禅譲しました。禅譲は,天下万民の利益だけを考えた無私の徳行であり,堯・舜の名前を不朽のものにしました(誰だって財産を自分の息子に残したいもの。それをしなかった堯・舜はすごい! というわけです)。

 でも,禹は帝位を息子に世襲させて王朝を開いてしまったので,この点を後世に非難されることになります。『史記』の記述に従えば,ただの難癖ですよね。

(つづく)

イメージは,ぱくたそ(https://www.pakutaso.com/)さんのフリー素材を使わせていただいてます。

2016年4月26日火曜日

中国史/古代/夏・殷・周

STEP 1            

  1. 実在が確認できる最古の王朝は殷王朝。 
  2. 殷王朝は「占い」によって人々を支配した。 
  3. 周王朝は「封建制」によって人々を支配した。 

STEP 2            
 
 歴史書『史記』によれば,始皇帝が中国を統一して「帝国」を建設する前に,夏・殷・周という3つの王朝がありました。

  • 夏:前2070〜前1800/伝説の王朝
  • 殷:前1600〜前1046/実在の確認できる王朝
  • 周:前1046〜前256

 夏 

」は禹を始祖とする王朝です。
『史記』を信じれば,「中国史上初の王朝」になります。しかし,その実在を裏づける考古学的証拠はなく,教科書では「伝説の王朝」と位置づけられています。大型の宮殿遺跡で知られる二里頭遺跡が「夏の王都のあとではないか」と言われていますが,万人が認めているわけではありません。現在,実在が確認できる最古の王朝は「殷」です。


 殷 

」は湯王を始祖とする王朝です。
 殷の実在を裏づけたのは,豊富な「甲骨文字」資料です。
 甲骨文字とは,亀の腹甲(おなか側の甲羅)や牛の肩甲骨などに刻まれたもので,内容は占いです。まず甲骨に円形のくぼみをうがち,その片側にアーモンド形のみぞを彫ります。そのみぞに占い師が焼けた木片や金属片を押しつけると,「ぼくっ」という音とともにひび割れが生じます。そのひび割れを見て吉凶を判断するのが殷王の仕事です。ちなみに,このひび割れと音をもとにした象形文字が「卜(ぼく)」です。最後に,占いの日付,占い師の名前,占いの内容,王の吉凶判断,占いの結果を,甲骨に彫り込んで記録しました。占いの内容は,祖先祭祀,戦争,田猟,収穫状況,天気,疾病など,ありとあらゆる方面にわたっていて,殷の王が何かにつけて神(鬼神)におうかがいを立てていたことがわかります(おかげで,殷王朝の実態を占いの記録からかなり復元できるわけですけど)。そうした宗教色の強い政治を神権政治と呼びます。

 殷は「邑制国家」と呼ばれます。とは,城壁で囲まれた都市や集落を意味し,中では氏族共同体が暮らしていました。氏族とは,共通の祖先を持つ集団です。とりあえず「○氏一族」と考えてよいです。殷は「大邑商」という巨大な都市国家と,それに従属する小さな邑〈=都市国家〉とで構成されていました。1つの国家というよりも,むしろ邑の連合体のようなものです。殷王は,周辺の邑に対して頻繁に「田猟」〈=軍事演習〉を行って軍事的に威圧するとともに,繰り返し祭祀を主催して「霊的威圧」を加えました。殷は青銅器の鋳造技術と文字を独占していました。他の邑の氏族は青銅器も作れなかったし,文字の読み書きもできなかったのです。祭祀をするには青銅製の祭器も文字も必要ですから,殷だけが祭祀を実施できました。殷に逆らう=神に逆らうことを意味するので,誰も歯向かえませんでした。


 周 

」は武王を始祖とする王朝です。
『史記』によれば,武王が殷王朝最後の王「紂王」を破り,殷王朝を滅ぼして周王朝を開きました。中国では,王朝交代のことを「革命」と呼びます。西洋史の「革命revolution」とはだいぶ意味が異なります。代々王位を世襲してきた殷の家系は「子」姓で,新しく王になる周の家系は「姫」姓でした。革命によって王朝が子姓から姫姓に交代するので,これを「易姓革命」と呼びます。「易姓」とは,「姓を易(か)へる」という意味です。
 周の国家体制は,殷とはまったく異なります。彼らは「封建制」と呼ばれる精緻な支配システムを作り上げました。

  • 殷:邑制国家/都・殷墟(大邑商)
  • 周:封建制 /都・鎬京

 封建制とは,「周王が一族・功臣に封土を与えて諸侯とし,諸侯はその見返りに軍事・貢納の義務を負う」というものです。王が息子や兄弟に新しく邑を与えて独立させるので,単に分家と考えてよいです。周王や諸侯の一族のことを「宗族」と呼び,そのうち王族など本家の宗族を「大宗」,諸侯など分家の宗族を「小宗」と呼びます。諸侯はさらに一族・功臣に封土を与えて「卿・大夫」とし,卿・大夫も一族・功臣に封土を与えて「士」としました。こうして分家を繰り返し,枝分かれした宗族が数多く生まれるとともに,周王→諸侯→卿・大夫→士という階層的な身分秩序が生まれました。なお宗族の構成員は「宗法」と呼ばれる一族の掟を守らなければならず,これが諸侯や卿・大夫・士に対して法律のような働きをしました。