2016年4月30日土曜日

中国史/古代/新石器時代

 中国の城壁 





今日は中国の城壁についてお話ししましょう。ところで,みなさん,城壁はどうやって作ると思いますか?
「石!」
「レンガ!」
「日干しレンガ!」
「コンクリート!」
「『人は城、人は石垣、人は堀』」
みなさん,元気いいですね。だれひとり,主語・述語を備えた文ではなかったですけど。あと,ひとり武田信玄が混ざってましたね。でも,とにかく,そのとおりですよ。通常,城壁は石やレンガで作られます。中には,泥を固めて作った日干しレンガ製のものもあります。インカ帝国は間に紙も入らないほど精密に組まれた石の壁で有名ですし,日本のお城も,それと比べればかなり雑ですけど,だいたい石垣を備えています


熊本城。加藤清正の作った名城。残念ながら,石垣は崩れてしまいました。



中国の城壁は『版築』と呼ばれる技法で作られ……
「せんせい! 『ばんちく』って何ですか?」
食い気味に来ましたね。興味が先走りするのは良いところですよ。いま説明します



万里の長城。現在のものは明代に修築されたもの。全長21,196.18km。地球半周分。


中国を代表する黄河の中流から下流にかけては,大量の『黄土』が堆積しています。黄土というのは,砂よりも細かく,粘土よりは荒い土で,水に触れるとすぐ崩れます。黄河の上流にはその名も黄土高原という,黄土が表面を厚く覆っている高原があって,黄河はこの高原を流れるとき,黄土を容赦なく削っていきます。『水一石のうち六・七斗は泥』,つまり水を汲んでも六割がたは泥と言われるほど,黄河は大量の黄土を含んでいて,これを中流から下流にかけてせっせせっせと運んでいきます
「せんせい! ばんちくは? ばんちくー」
これからですよ。で,この黄土は水に触れるとすぐ崩れるくせに,突き固めるとものすごく強くなってカッチカチになるんです。カッチカチに
「ゾックゾクしますね!」
でしょう。要するに,黄河中下流域には豊富に黄土があるので,中国の人たちはこれを利用して城壁を作ったんです
「そろそろ,ばんちくですね! ばんちくー」
そうです! 『版築』というのは,まず木の板で四角い枠を作ります。そこに,黄土をどさどさと放り込んで,あとは人が上からぶっとい木の棒でドスッドスッと突き固めます。すると……。
「カッチカチ!」
そう。カッチカチです。カッチカチ。そうしたら,また黄土をどさどさと放り込んで,また上からドスドスと突きます。どさどさ,ドスドス,どさどさ,ドスドス……と,40回から50回ほど繰り返すと,高さ2~3mの城壁の完成です
「1回の作業で,5cmとか7cmくらいしか高くならないんですね」
それ,いま計算したんですか?
「はい」
そうですか。むむ。中国最古の『版築』跡は鄭州市の西山遺跡で見つかっています。前3300~前2800年ころの遺跡で,仰韶文化の終わりころです。幅4m,高さ2mほどで,作りも雑です。竜山文化期に入って,『竜山文化』の名前の由来となった山東省竜山鎮の城子崖遺跡では,かなり整った版築城壁になりました。層が相当キレイにできているそうです」
「ソウがソウ当キレイにできているソウです……」
何か言いたいことがあるんですか。……まあ,いいです。城子崖の城壁は周長1680m,高さ2~3mでしたけど,殷の初代湯王の都城とされる『鄭州商城』遺跡になると,周長7km,幅20m,高さ10mもある版築の城壁が姿を現しました。これだけの城壁を築くには相当な労力が必要だったはずです

  • 西山遺跡 / 仰韶文化
  • 城子崖遺跡/ 竜山文化
  • 鄭州商城 / 二里岡文化

始皇帝が築いたとして有名な『万里の長城』も版築で作られました。現在,見学できる長城は明代に作られたもので,焼きレンガで補強された頑丈で立派なものです。でも,始皇帝のころは泥を突き固めただけの,幅4m前後,高さ2mほどの粗末なものだったと言われています。いま確認されている長城は2万kmを越えますが,始皇帝のものはほぼほぼ跡形もなくなっているので,どれくらいの規模だったかもよくわかっていません

ここからなら見える


「せんせい! 万里の長城って月から見えるって本当ですか?」
絶対に見えないそうです。でも,国際宇宙ステーションからなら,上空約400kmのところを周回している程度なので,十分見えるそうですよ

「せんせい,割と子どもの夢クラッシャーですよね」

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