2016年4月29日金曜日

世界史全般/古代

 都市って何? 

 都市と村落の違いって,そもそも何でしょう?

このころは都市とかはない


 人がたくさん住んでいれば,「都市」と言えるような気もします。でも,住民が数万人いたとしても,全員が農業従事者で,住んでいるのは粗末な家ばかりで,見渡す限り田んぼが続くような町を「都市」と呼ぶのは抵抗があります。

 そのような町なら「村落」とか「集落」と呼びたくなりますね。

 考古学の現場では,「人が住んでいた跡」と思われる遺跡を発掘するとき,それが「村落」なのか「都市」なのかが大問題になります。「都市」なら,そこに進んだ文明があったことになるからです。

 それでは,「都市」と定義するための条件とはいったい何でしょう?

 1950年,考古学者のチャイルドが「都市革命 Urban Revolution」論を唱え,そこで都市の条件を10項目挙げています。噛み砕いて表現すると,


  1. 大きくて,人がたくさん住んでいる
  2. 農業以外の職業(鍛冶屋や運送屋や商人)に従事する人がいる
  3. 余剰生産物(自分たちが食べる分以上に余分に作った農産物)を誰か(神官や王,あるいは,その両方を兼任している人)に納めている
  4. 神殿などの巨大な建造物がある
  5. 支配階級(肉体労働者ではなく知的労働者)がいる
  6. 文字記録がある
  7. 暦,算術,幾何学,天文学が発達している
  8. 芸術(壁画とか彫像とか)がある
  9. どこかと遠距離交易をして奢侈品や原材料を輸入している
  10. 支配階級(王や神官)に専門に雇われている職人もいる


これは都市。大聖堂もある

 チャイルドの考えは,①灌漑農業が始まり,②住民が食べきれないほどの食糧を生産できるようになると(余剰生産物),③住民全員が農業に従事しなくてもよくなるので,④農業以外の職業従事者(職人や商人)も生まれて「社会の分化」が進み(村落では全員が農民だけど,都市ではいろんな職業の人がいて,中には神官や王のような「人を支配すること」を職業とする人まで現れるということ),④やがて「都市の条件」がそろう,というものです。

 少なくとも,いきあたりばったりに大集落ができたのではなく,何らかの計画性があって,その計画をリードした人たち(支配階級)がいて,神殿やピラミッドのたぐいがあったら「都市」と考えてよいです。


都市計画


 中でも大事なのは「城壁」です。

 黄河文明で言えば,前期の仰韶文化期には,集落を濠(ほり)で囲って防御力を高めた「環濠集落」はありましたが(半坡遺跡),城壁はまだでした。でも,後期の竜山文化期に入ると,高さ2〜3mの城壁が姿を現します(城子崖遺跡)。

 中国古代史では,城壁で囲まれた集落を「(ゆう)」と呼びます。

 ここまで来ると「都市」と定義できるものも,ちらほら出てきます。前1800年ころのニ里頭遺跡では,宮殿と青銅器工房の跡も見つかっているので,これは「都市」です。時期的に考えて夏王朝(前2070〜前1800)の都の1つではないかと言われているのも,うなずけますね。

 というわけで,考古学者は今日も「都市」の遺跡を探し求めて,世界中で地面を掘っています。

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