殷と商のちがいって
「シーナ,ちょっと聞いていい?」
「なんですか,せんぱい」
「殷って必ず『殷(商)』って書かれてるんだけど,この『(商)』ってどういう意味? カッコショウって。どっちも同じ?」
「基本的には同じだけど,『殷』は王朝の名前で,『商』は都の名前なんです。甲骨文字では,殷の人々は自分たちのことを『商』って呼んでるから,彼らのことを商と呼ぶべきだ,という意見もありますよ。わたしは王朝の名前である『殷』で覚えるべきだと思ってますけど」
(写真はイメージです)
王朝って何?
「……あの,今さらだけど『王朝』って,何?」
「……」
「ちょっと,その呆れた感じの目,やめてもらってもいい? なんか興奮する」
「……王朝は,国王とか皇帝の地位を代々世襲する家系のことです。例えば,北朝鮮は,建国以来,金日成→金正日→金正恩と,三代にわたって国家元首の地位を世襲しているから,『金王朝』と呼ばれたりしてます。同じように,殷では,姓が『子』の家系が代々王位を世襲してました。この子姓の王朝を『殷』と呼んでます。ちなみに,次の周は姫姓の王朝です」
「じゃあ,殷とか周っていうのは,国の名前じゃないんだ?」
「違いますよ,せんぱい。フランス史で,フランク王国,メロヴィング朝,カロリング朝って習うじゃないですか。『フランク王国』が国の名前で,『メロヴィング朝』と『カロリング朝』が王朝の名前です。中国の場合は,国の名前はなくて,王朝の名前だけ勉強してるんです」
禹ってだれ?
「ところで,せんぱい,禹(う)ってかっこいいと思いません?」
(写真はイメージです)
「歩いたあとが北斗七星になるところとか?」
「そこもかっこいいですよね」
「でもさ,伝説の聖天子の堯(ぎょう)は有徳者の舜(しゅん)に帝位を譲ったし,舜も有徳者の禹に帝位を譲ったけど,禹は実の息子に帝位を世襲させて夏王朝を開いたわけでしょ。堯・舜と比べるといちだん落ちる気がする」
「なんか,王朝の概念にいきなりなじんでますね」
「君のおかげだよ」
「うわぁ……ま,ともかく,禹は舜の命を受けて天下中を回り,体をボロボロにしながら洪水対策を行うんですけど,そのときの部下の益(えき)にちゃんと帝位を譲ってるんです。禹が崩御してから,益は帝位を禹の子どもの啓(けい)に譲り,天下の人々も益より啓を支持したから,結果的に啓が帝位を世襲して夏王朝を開いちゃっただけなんです」
「へえ……ちゃんと禅譲してたんだ。で,禹のどこがかっこいいの?」
「ボロボロになったところ。あと,お父さんから生まれたところ」
「お父さんから?」
「そうなんです。禹のお父さんの鯀(こん)は,帝舜から洪水を止めるよう命を受けたんですけど,そのとき神さまから“限りなく増え続ける魔法の土”を盗んで堤防を作ったんです。でも,それでも洪水は止められず,そのうえ怒った神さまに石にされちゃうんです。三年後,誰かがなぜか石化した鯀の腹を刀で開いてみたら,中から赤ちゃんの禹が出てきたんです」
「刀で? 石を? というか,なんでだろ」
「不思議ですよね! ちなみに,禹があるとき熊に変化して,それを見て奥さんが逃げて石になっちゃうんです。禹が『オレの子を返せ!』って追いかけながら叫ぶと,奥さんの北側が開いて,中から息子の啓が出てきたそうです。親子二代で石から生まれるって,素敵ですよね」
「いや,熊になって石になって啓が出てきてって,情報量が多すぎてついてけない」
(参考:張光直著『古代中国社会――美術・神話・祭祀――』東方書店)
ちなみに,堯・舜・禹は伝説の聖天子です。
「五帝」のひとり堯(ぎょう)が帝位を息子に世襲させず,親孝行で有名だった舜(しゅん)に譲ったことを「禅譲(ぜんじょう)」と呼びます。舜も帝位を息子に世襲させず,治水に功績のあった禹に禅譲しました。禅譲は,天下万民の利益だけを考えた無私の徳行であり,堯・舜の名前を不朽のものにしました(誰だって財産を自分の息子に残したいもの。それをしなかった堯・舜はすごい! というわけです)。
でも,禹は帝位を息子に世襲させて王朝を開いてしまったので,この点を後世に非難されることになります。『史記』の記述に従えば,ただの難癖ですよね。
(つづく)
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