STEP 1
- 中国には黄河文明と長江文明の2つも文明があった。
- 伝説の夏王朝の実在を裏づける遺跡が発見された。
- 四川省には三星堆文化というユニークな文化もあった。
STEP 2
黄河文明と長江文明
中国では黄河文明と長江文明という2つの文明が発達しました。1つの国に2つも文明があるなんて,ちょっとうらやましいです。黄河流域に生まれた黄河文明ではキビ・アワなどの雑穀を食べ,長江流域に生まれた長江文明ではコメを食べていました。それぞれ性格を異にする別個の文明です。
- 黄河文明:華北/黄河流域(華北)/キビ・アワ
- 長江文明:華中/長江流域(華中)/コメ(水稲耕作)
黄河文明では,前期(前5000〜前3000年ころ)に彩文土器(彩陶)を特色とする仰韶文化,後期(前2500〜前2000年ころ)に黒陶・灰陶を特色とする竜山文化が繁栄しました。
- 仰韶文化:前5000〜/黄河中流域(河南省)/彩文土器(彩陶)
- 竜山文化:前2500〜/黄河下流域(山東省)/黒陶・灰陶
彩陶は赤地の土器に,黒い文様(彩文)が描かれているものです。モチーフは魚,花,葉など。壷とか鉢とか単純な形が多いです。一方,黒陶は黒い光沢を持つ土器で,文様はありませんが,複雑な形をしています。有名なのは,鬲(蒸し器)や鼎(煮炊き器)に代表される三足土器で,土器の底に三本の足が付いています(見た目はすごく不安定)。このころには回転台(ろくろ)を使って土器を製作していて,中には厚さ0.5mmという極薄の「卵殻陶」も存在します。彩陶よりも技術レベルが相当高い感じです。
夏王朝と二里頭文化
歴史書『史記』によれば,竜山文化末期の前2000年ころに「夏」と呼ばれる王朝があったとされています。しかしその実在を裏づける考古学的証拠はなく,伝説の王朝とされてきました。ところが,竜山文化に続く二里頭文化(前2100〜前1800年ころ),二里岡文化(前1600〜前1400年ころ)が見つかり,前者の二里頭文化が「夏」王朝のものだと考えられています。
- 夏:前2070〜前1800/伝説の王朝/二里頭文化
- 殷:前1600〜前1046/実在の確認できる王朝/二里岡文化
- 周:前1046〜前256
(「三代」と総称される古代王朝。二里頭文化=「夏」,二里岡文化=「殷」 初期と考えられている。「三代」のあとが「秦」)
といっても,まとまった文字資料は出土していないので,二里頭文化が本当に夏王朝のものなのかは断定できず,教科書的にはまだ夏王朝は伝説の王朝のままです。
縦目仮面。目がびょーん。 |
三星堆遺跡は,殷初期の遺跡(二里岡遺跡)と比較しても遜色のない大規模なもので,「殷」と同規模の強力な王権が四川省にあったことを示しています。青銅鋳造,玉器製造,黄金加工などで卓越した技術を誇り,また独自の宗教体系も備えていることから,黄河文明・長江文明と並ぶ中国第三の文明とも位置づけられています。
(参考:徐朝龍著『三星堆・中国古代文明の謎――史実としての『山海経』』あじあブックス)
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