受講生の要望にお応えして,山川出版社『世界史用語集』(新課程版,2014)所収の「海戦」を集めてみました。
「……海戦」はぜんぶで7つ。
サラミスの海戦
時:前480年
場所:ギリシア(サロニカ湾・サラミス島)
主な人物:テミストクレス,クセルクセス1世
ギリシア連合艦隊 vs. ペルシア艦隊
ペルシア戦争(前500~前449)の一幕。ギリシアは,前490年のマラトンの戦いでペルシア軍の侵攻を退けましたが,前480年,クセルクセス1世率いるペルシア軍の侵攻をふたたび受けました。ペルシア軍はテルモピレーの戦いでレオニダス王率いるスパルタ軍を粉砕し,アテネに侵入して略奪の限りを尽くし,建造中のパルテノン神殿を破壊したりしました。
アテネの将軍テミストクレスは,ギリシア連合艦隊をサラミス島に集め,一計を案じてペルシア艦隊を狭いサラミス水道に誘いこむと,衝角戦法でこれを撃破しました。
結果:ギリシア側の勝利
アクティウムの海戦
時:前31年
場所:ギリシア(アクティウム岬沖)
主な人物:オクタウィアヌス,アントニウス,クレオパトラ
オクタウィアヌス(ローマ西) vs. アントニウス・クレオパトラ(ローマ東・エジプト)
共和政ローマ最末期のイベント。このとき,広大な支配領域を誇るローマは,オクタウィアヌスとアントニウスという二人の実力者に分割されていました。西地中海の覇者がオクタウィアヌスで,東地中海の覇者がアントニウスです。
オクタウィアヌスは,あのカエサルの姪っ子です。カエサル暗殺後,その養子相続人,つまり後継者になりました。このとき,後継者の座をめぐり,カエサル派の大物アントニウスと対立しましたが,ふたりは和解して,同じくカエサル派の大物レピドゥスとともに第2回三頭政治を開始。和解のしるしに,アントニウスはオクタウィアヌスの姉オクタウィアを妻として迎え入れました。
ところが,アントニウスは,エジプトの女王クレオパトラ(プトレマイオス朝最後の王)と恋に落ち,遺言状で彼女および彼女との間に生まれた子を相続人に指名します。つまりローマの東半分をエジプトの女王に譲り渡すというのです。オクタウィアとはもちろん離婚です。
このゲスの極みとも言える行為にオクタウィアヌスは激怒し,アントニウスを売国奴だ,謀叛人だと告発して,宣戦布告しました。彼はアントニウス・クレオパトラ連合艦隊(つまりローマ・エジプト連合艦隊)をアクティウムで破り,翌年にはアレクサンドリアでふたりを自殺に追いこみ,エジプトを属州化しました。
こうしてローマはひとつに統一されました。前27年にはオクタウィアヌスがアウグストゥス(尊厳者)の称号を得て元首政(プリンキパトゥス)を開始。帝政ローマがはじまります。
結果:オクタウィアヌスの勝利。
今日はここまで。
【残り】プレヴェザの海戦/レパントの海戦/トラファルガーの海戦/日本海海戦/ミッドウェー海戦
【番外】ディウ沖の海戦/アルマダ海戦
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