2016年10月9日日曜日

受験世界史まとめ/海戦②


プレヴェザの海戦
時:1538年
場所:イオニア海東海岸(プレヴェザ沖)
主な人物:カルロス1世(スペイン王),スレイマン1世(オスマン帝国スルタン)

カトリック連合艦隊 vs. オスマン帝国艦隊

オーストリア・トルコ戦争(1526~1699)の一幕。オスマン帝国の「壮麗者」スレイマン1世は,1526年,モハーチの戦いに勝利してハンガリーを征服し,1529年にはさらに北上してウィーンを包囲しました(第1次ウィーン包囲)。慣れない寒さに苦しんでオスマン軍は撤退しますが,ヨーロッパのキリスト教徒を震え上がらせました。

この間,オスマン海軍は1522年にロードス島の聖ヨハネ騎士団を撃退して東地中海に進出し,1538年にはスペイン・ヴェネチア・ローマ教皇のカトリック連合艦隊をプレヴェザ沖で撃破して(プレヴェザの海戦),全地中海の制海権を掌握しました

このとき,スペイン王はカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)。ローマ教皇はパウルス3世で,1545年にトリエント公会議を招集した教皇として有名です。

結果:オスマン側の勝利



レパントの戦い
時:1571年
場所:ギリシア(コリントス湾北岸レパント沖)
主な人物:フェリペ2世(スペイン王)

カトリック連合艦隊 vs. オスマン帝国艦隊

オーストリア・トルコ戦争(1526~1699)の一幕。1570年,オスマン帝国がキプロス島を征服します。これに対し,スペイン・ヴェネチア・ローマ教皇がふたたび同盟を結び,カトリック連合艦隊を結成しました。

翌1571年,カトリック連合艦隊はオスマン帝国艦隊をレパント沖で撃破して(レパントの海戦),地中海の制海権を取り戻しました。レパントの海戦は,16世紀最大の海戦と評されます。両軍合わせて400隻を越えるガレー船,2500門の大砲,16万人の将兵が参加し,その4分の1が戦死したそうです。

このとき,スペインの文豪セルバンテスが一兵卒として参加。彼はこの海戦を「かつてなかった最も偉大な一瞬」と呼んで讃えています。ちなみに,彼は1575年に退役。帰国途中,トルコの捕虜となり,5年間も幽閉されます。名作『ドン・キホーテ』を出版するのは1605年(前編)。還暦を迎える直前のことでした。

結果:カトリック側の勝利

  • カトリック側から見れば,プレヴェザの海戦で失った制海権をレパントの海戦で取り戻した,となります。
  • レパントの海戦からアルマダ海戦までは,スペイン艦隊は「無敵艦隊」でした。といっても,レパントの海戦はヴェネチア艦隊のおかげで勝ったようなものなので,「無敵艦隊」は敵と戦うまでは無敵だったと皮肉を込めて言われたりします。
  • ヴェネチアがオスマン海軍と対立したのは,彼らが東地中海の覇者だったからです。忘れがちですが,ヴェネチアは十字軍をきっかけに台頭し,このころ地中海交易圏=東方貿易のメインプレーヤーとなっていました。

【残り】トラファルガーの海戦/日本海海戦/ミッドウェー海戦

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