2019年11月6日水曜日

受験世界史/センター世界史B対策

 シンプルな選択肢と複雑な選択肢 

センター世界史の特徴の1つは,選択肢がやたらシンプルという点です。

たとえば,センター以外の正誤問題の例を挙げると,


ウィーン会議およびウィーン体制に関する次の文章の中から,誤りを含む文章を1つ選びなさい。
  1. ウィーン会議で,オーストリア領ネーデルラントはオランダ領となったが,フランスの七月革命後に独立し,立憲王国となった。
  2. ウィーン会議後も,ドイツのブルシェンシャフトによる改革要求,イタリアの秘密結社カルボナリの蜂起など,自由主義的な改革を求める動きがつづいた。
  3. ウィーン会議後にラテンアメリカでは独立運動が相次ぎ,その結果,ハイチ共和国,ボリビア共和国,ペルー共和国などが成立した。
  4. ウィーン会議が採用した正統主義によりフランスではブルボン家による王政が復活し,ルイ18世を継いだシャルル10世は,オスマン帝国支配下のアルジェリアに出兵した。
(2019慶応経済) 

一見して選択肢ひとつひとつが長いし,複雑だなと感じるかと思います。

判定ポイントも,選択肢1は,

a) ネーデルラントはオーストリア領だったのか
d) 本当にオランダ領になったのか
c) 独立はフランス七月革命後か,それとも二月革命後か
d) 立憲王国,それとも立憲共和国?(つまりベルギー王はいたのか)

……とやたら多いです。


選択肢2は,

a) ドイツのブルシェンシャフトはウィーン会議直後(=革命の第1波)か
それとも七月革命後(=革命の第2波),二月革命後(=革命の第3波)か

b) イタリアのカルボナリの蜂起はウィーン会議直後(=革命の第1波)か
それとも七月革命後(=革命の第2波),二月革命後(=革命の第3波)か
  • 19世紀前半の歴史では,ある項目(例えば,コッシュートの独立運動とか マッツィーニのローマ共和国建設)が,革命の第1波(1815年〜),第2波(1830年〜),第3波(1848年〜),どのタイミングで起きたのかを判定させる正誤問題は頻出です。整理必須。
c) どちらも「自由主義的な改革を求める動き」と呼んでよいのか


選択肢3は,

a) ラテンアメリカの独立運動はウィーン会議後か
b) その独立国は,ハイチ共和国,ボリビア共和国,ペルー共和国でよいか


選択肢4は,

a)「正統主義」で正しいか
b) 復活したのは「ブルボン家」か
c) 王政復古最初の王は「ルイ18世」か
d) 「ルイ18世」の次が「シャルル10世」か
e) アルジェリアを支配下に置いていたのは「オスマン帝国」か
f) シャルル10世が出兵したのは「アルジェリア」か

と判定ポイントだらけです。「あれ,ヴァロワ家は?」「王政復古ってことは,処刑されたルイ16世の後継者ってことでしょ? あれ,ルイ17世は?」「アルジェリアってオスマン帝国の支配下だっけ? もう独立してない?」「あれ,チュニジア出兵かも?」「ルイ゠フィリップって,どのタイミングで出てきたっけ?」とか悩みはじめたら,もう終わりです。
  • 「ルイ17世」は,ルイ16世とマリー゠アントワネットの次男で,マリーから「愛のキャベツ」と呼ばれて可愛がられましたが,両親がギロチンで処刑された挙句,革命派の靴屋に預けられ,凄惨な児童虐待を受けたのち,わずか10歳で結核に斃れた,悲劇の王太子。「ルイ18世」はルイ16世の弟。

単に,ハイチがフランスから独立したのはまだナポレオンの時代(つまりウィーン会議前,正確には1804年)。ナポレオンは1803年に「ミシシッピ以西のルイジアナ」を格安でアメリカに売り,翌年にハイチも失って,西半球〈=新世界〉から撤退した……さえ覚えていれば,選択肢3が誤りだと気づけます。ハイチが中南米初の独立例であり,それがナポレオン戦争中だった(少なくともウィーン会議前だった)ことはセンターレベルの知識なので、見かけに反して解答はさほど難しくありません。

センター以外の正誤問題の場合,判定ポイントがとても多く,しかも「1830年,ベルギー独立」を覚えていたとしても,それが「王国」か「共和国」かまで知らなければ,明確な正誤判定ができません。「ウィーン会議のころ,ラテンアメリカで独立運動が活発化した」は覚えていたとしても,「ハイチ共和国,ボリビア共和国,ペルー共和国」と並べられると,戸惑うでしょう。

ハイチ(1804年 独立)
コロンビア(1810年 独立)
ベネズエラ(1811年 独立)
パラグアイ(1811年 独立)

ここまでがウィーン会議前

アルゼンチン(1816年 独立)
チリ(1810年 自治政府樹立 → 1818年 独立)
メキシコ(1810年 武装蜂起 → 1821年 独立)
ペルー(1821年 独立)
ブラジル(1822年 独立)
ウルグアイ(1830年 独立)

このあたりがウィーン会議後

ラテンアメリカの独立がウィーン会議前後に集中しているのは,独立運動の引き金が2回あったからです。1回目が1808年。ナポレオンの侵攻を受けてスペイン本国(ラテンアメリカに多くの植民地を所有)が大混乱に陥り,独立の絶好のチャンスを植民地側に与えてくれました。2回目が1820年。スペイン本国で自由主義革命が起き,自由主義=植民地支配から解放ということで,独立の気運が高まりました。10・11年独立組と21・22年独立組がいるのはそのためです。

というわけで,まとめ。

  1. センター以外の正誤問題では,判定ポイントがやたら多い。
  2. その多くが高度な判定を要求する(受験生は大混乱)。
  3. ところが,答えるためにはセンターレベルの知識(ハイチの独立はウィーン会議前)さえあればよい。
  4. つまり,そこら中にある「目くらまし」に惑わされず,確実に正誤判定できる判定ポイントを見つけ出せば,センターレベルの知識でも解ける(はず。少なくとも多くの問題は)。

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