2011年12月27日火曜日

【戦後史】東南アジア 〈論述問題〉

:アメリカがインドシナ戦争に介入していく経緯を140字でまとめよ。




【解説】

アメリカがインドシナ戦争に介入した理由は、第一に「ソ連・中国がインドシナ戦争に介入したから」です。第二に「フランスがインドシナ戦争に敗れ、この半島から撤退したから」です。もともと「マーシャル=プラン」という形でアメリカの資金がフランスに流れ込み、これが戦費に充てられていました。

1950年、新興共産国家の中華人民共和国がホーチミンのベトナム民主共和国を国家承認し、ソ連と北朝鮮がそれに続いて、同国に対する軍事支援を始めました。この動きに対抗するため、アメリカとイギリスも、フランスの傀儡国家のベトナム国を国家承認し、軍事支援を始めます。

1954年5月、フランスがディエンビエンフーの戦いでベトナム民主共和国(北ベトナム)に敗北し、7月にジュネーヴ(休戦)協定が結ばれました。でも、この段階では、北緯17度線を軍事境界線として、北にベトナム民主共和国、南にベトナム国が依然としてあり、北から仏軍が撤退し、南からベトミン軍が撤退しただけでした。

つまり仏軍はまだ南ベトナム〈=インドシナ半島南部〉にいたわけです。ところが、インドシナ和平(フランスの敗北)に勇気づけられたアルジェリアが独立戦争を開始します。フランスはこの独立戦争の対応に追われ、インドシナ半島からの撤退を決め、インドシナをアメリカに委ねました。

1955年、アメリカは、反共主義者でベトナム国首相のゴ=ディン=ディエムのクーデターを支援し、国王バオダイを追放してベトナム共和国(共和国は国王のいない共和政の国という意味です)を樹立させました。翌56年にフランス軍がインドシナから撤退。インドシナは米ソ冷戦の舞台になりました。


【ジュネーヴ休戦協定の中身は?】

 (1) 北緯17度線を軍事境界線として南北に一時分断する。
 (2) 2年後(1956)に統一選挙を実施する。
 (3) カンボジア・ラオスの独立を認める。

 この段階で北ベトナムがベトナムの4分の3を制圧していましたが、とりあえず北緯17度線を境界線にして、北はホーチミンのベトナム民主共和国が支配、南はフランスの傀儡国家のベトナム国が支配することになりました。といっても、南北に独立国がそれぞれできたわけではなく、2年後に自由選挙を行って、ベトナムを再統一することになっていました。武力統一目前だったホーチミンはもちろん不満を募らせましたが、一方で自由選挙に勝つ自信(つまり自分がベトナムを再統一する自信)も持っていました。そこでアメリカとベトナム国はジュネーヴ休戦協定の調印を拒否しました


【解答例】
1950年、中ソが北ベトナムの支援を始めると、対抗して米も南ベトナムの支援を始めた。1954年、ディエンビエンフーの敗北を機にジュネーブ休戦協定が結ばれ、フランス軍がインドシナからの撤退を決めると、アメリカが代わりを務め、1955年には親米のベトナム共和国を建てて本格介入した。

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